2012年03月27日

つや消し

 10色セットは全色ツヤありだった。夜市調達の作品群はみんなテカテカの光沢仕上げになってしまった。これでは 乗用車ならともかく ミリタリーものは みっともなかった。

 まあ、当時は混合色、たとえば軍艦色とか艦底色などは半光沢であったけれども、別につや消し剤なるものはなかった。それで、自分で調合した色をつや消しにするには、炭酸マグネシウムをシンナーとともに塗料に混ぜ込んで作っていた。

 炭酸マグネシウムなどと言うと仰々しいが、あのころは鉄棒などの滑り止めとして薬局などで簡単に手に入った。50円分も買えばポテトチップの袋イッパイ分あった。

 私がこの方法を知ったのは、確かタミヤのミリタリーミニュチュアシリーズの箱書きでだったと思う。最初は混ぜる分量がわからず、乾いたら泥壁みたいになったこともあった。



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2012年02月05日

色気が出てきた


 Kが教えてくれたくれたことで、私にインパクトを与えたのは塗装だった。プラモデルは色を塗ると見違えるようになると教えてくれた。

 当時、施設のバスの停留所まで母が自家用車で送り迎えをしてくれていたのだが、その道すがら、模型専門店に立ち寄った。

 そして、レベルという会社のものだったが原色と金銀銅色の10色セットを早速購入した。予算の都合もあり、理屈の上ではこれだけの色があればどんな色でも作り出せるのでこれにした。そして、数個作り溜められた夜市調達の作品群に色づけしていった。



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2012年02月02日

コツ


 キレイにプラモデルを組み立てる最大のコツはセメダインを付け過ぎないこと! これもKのこのときの教えだった。

 クルマの場合は窓ガラスがあるので、特に大事な事柄だ。解っていても、なかなか、うまくはいかなかったが、それ以前に比べれば、数段キレイに仕上がった。

 はみ出したセメダインで表面が白く濁っり、形だけから 辛うじて それが何の模型であるか推測できる程度の出来から脱却したのである。

 無塗装ではあったが、このフェアレディはしばらく、本立てと一緒に家に作りつけられていたガラス戸のついた陳列棚に飾られていた。


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2012年02月01日

奇妙な形の爪切り


 私はKから部品は手でもぎ取るものではないこと、家にあるものでは爪切りを使えばきれいに切り離せることを教えてもらった。

 そこで母親に爪切りを貸してくれるように頼んだ。すると出てきたのはヤットコの先に刃を付けた様な形をしていて、確かに爪は切れるが、明らかに普通のものとは違うものだった。

 それが本当に爪切りだったのかどうかは解らないが、普通の爪切りよりもパーツの切り離しに適していたのは確かだった。刃の部分が普通の爪切りの様に湾曲しておらずまっすぐだったからだ。後年、ニッパーを使うようになるまで、結構、長い期間使った。

 これを使って、フェアレディZ432をできるだけ丁寧に作り上げていった。


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2012年01月31日

日産フェアレディZ432


 大和から夜市の小物を経てチョット大物に挑戦した。今はなき、オオタキという模型メーカーの日産フェアレディZ432だ。

 おそらく20分の1スケールだったと思うが、値段が当時1,000円ぐらいしたと思う。1973年(昭和48年)のオイルショック以前の値段なので、まあ、難易度は中ぐらいのキットだったと思う。

 室内やエンジン、サスペンションまで作り込まれていて、当時の私としては第一級の買い物だった。しかも、なんとエンジンの中のモータを組み入れることができ、動かせたのである。ドアも開閉できた。

 スケールモデルをモーターライズ、ないしは、ギミック化するのは、今考えると強度の面で無理があるが、クルマの基本構造を学ぶ上ではこの上ない教材だったと思う。私はこのキットで車の中がどんな風になっていて、どうやって動くのかを学んだ。


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2012年01月24日

プラモデルの指南役


 ところで当時、私は往復3時間近くかかる幼児から中学3年生までの児童生徒よ収容する施設(学校と病院が一緒になったようなところ)に、その施設のバスで通っていた。

 毎日、3時間近くもバスに乗っているのだから退屈この上なかった。しかし、仲のいい同級生Kと模型の話しをするようになってからは、この退屈なバス乗車の時間もなかなか楽しいひと時となった(Kは家が比較的、施設に近かったので往復30〜40分といったところだったが)。

 私と同じ病気で両足が不自由だったKは図画工作に抜群の才能を持っていた。当然、プラモデルの作成もうまかった。

 Kは私のプラモデルの指南役となった。


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2012年01月22日

夜市


  昭和40年前後、私のふるさとでは夏場、特定の数字の付く日、たとえば、9の付く日(9日・19日・29日)はどこどこ、とかいうふうに、地区を決めて夜市が開かれていた。

 ここでは、いわゆる縁日のように綿菓子屋、花火屋、おもちゃ屋とかいった出店が並び子供たちにとっては たまらなく楽しい夏の風物詩だった。

 我が家でも、月一で連れて行ってもらっていた。そして、なの大和完成以来、おもちゃ屋で50円とか100円とかのクルマや飛行機のプラモデルを買うのが慣例となった。チッチャな物で、まだ、接着剤でこね上げるだけだったが、数はこなしていった。


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2012年01月21日

無事進水


 で、どうやって作ったかは よくは覚えていない、どうにか作り上げることは出できた。しかし、これまた、はみ出したセメダインで表面が白く濁っり、形だけから辛うじて それが何の模型であるか推測できる程度の出来だった。

 道具など持ち合わせてはいなかった。あったのはプラモデルに付属しているセメダインのチューブだけだった。おそらく、部品はランナーから手でもぎ取っていたに違いない。

 しかし、大和は ちゃんとスクリューが回って風呂場の海を航行した。両親が作ってくれたものに勝るとも劣らない出来だったのだ。

 浮かべては沈め、沈めては浮かべを繰り返したが、船が沈没する様は模型とはいえ、なかなかスリリングな光景ではあった。

 兎にも角にも、片手と足でプラモデルを何とか作り上げたという実績を手に入れたのだった。


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2012年01月20日

とうとう 自分で 大和!


 それから しばらくは、プラモデルと縁はなかった。たまに、デパートに連れていってもらったが、買ってもらうオモチャはそれがクルマであれ、船であれ、サンダーバードであれ何であれ出来上がっているものばかりだった。

 ところで、昭和40年前後の日本では反戦や平和主義が叫ばれる一方で『0戦はやと』『0戦黒雲隊』とかカッコいい戦争を見せるテレビ番組も多くあった。

 その良し悪しは別として私を含めて当時の男の子たちは、後の子供たちが『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』といったアニメに熱中するように日の丸や星のマークを付けた軍用飛行機や軍艦の出てくる番組に夢中になったのだ。

 そして、こういったミリタリーアイテムはプラモデルの格好の題材となり、多く製品化されていった。それで、私たちは次第に番組よりもミリタリーアイテムそのものに熱中するようなっていったのである。

 こういった当時の状況の中、私は、2回の挫折を経てもなお、いや、ますます、プラモデルへの羨望をつのらせていったのである。

 そして、ついに、小学校5年生のときに、母親に対して自分で作るからプラモデルを買って欲しいと頼んだのである。このとき買ってもらったのは0戦と並ぶ日本の2大ミリタリーアイテムの一つ『戦艦大和』だった。


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2012年01月19日

期待はずれ戦車


 次に ボクにプラモデルを買ってくれたのは父親だった。0戦からどのくらい後だったかは定かではないが、ハーケンクロイツ(逆鉤十字<ぎゃくかぎじゅうじ>)のついた戦車だった。

 戦車の名前は覚えていないが砲塔がなかったように記憶しているので、おそらく3号か4号の突撃砲戦車だったんだろうと思う。で、まあ、モーターライズの戦車モデルなので当然、キャタピラで走行が楽しめる・・・・・・   はずだった。

 しかし、作り始めてみると、父も初制作だったらしく悪戦苦闘。これまた、はみ出したセメダインで表面が白く濁っり、形だけから 辛うじて それが何の模型であるか推測できる程度の出来だった。当然、走行など望むべくもなかった。

 このとき、母のときと違って、絵や粘土工作などは上手だった父なのでプラモデルもきれいに作ってくれるものと大いに期待していた私は、この戦車の出来に、非常に、落胆したのを覚えている。

 このプラモデルはその後しばらくそのプラモデルの箱に入ったまま放置されていたが、いつしか、電池が液漏れして錆がこびりつき、無残な姿で廃棄処分となった。


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